さよなら またね だいすき
夜半のファミレス。気心の知れた友人との会話は心地良い。ドリンクバーのコーヒーで満たしたカップを手に、渉はボックス席へ腰を下ろす。渉の背後の席には若い男が二人、向かい合って座っている。どちらもやけに深刻そうな表情を浮かべていたように思う。一人が、はっきり「正丸峠で動物の幽霊を見た」と口にした。渉も以前から耳にしていた噂だ。
「ユーレイって……ノラ犬じゃねーの。あそこ、シカなんかも出るらしいじゃん」
「でもそいつら、なんか違うんだよ。チワワとか、猫とか、とにかく何十匹もいて。服着てる野良犬って見たことあるか?」
「ないけど……チワワなんて峠なんかじゃ生きらんねーじゃん。あんなちっこいの、寒い中ほっといたらすぐ死んじまうだろ」
「な、そう思うだろ普通。それで轢くのもヤだし、クラクション鳴らしたんだよ。そしたら」
途切れた言葉を埋めるように、彼等のグラスから氷の音。渉はコーヒーを啜りながら耳をそばだてる。
「逃げたのか?」
「……消えた。全部、煙みたいにふわーって」
「まさか、ウソだろ」
「マジだって!オレもうあそこ行きたくねえよ……」
半泣きのような小さな声。暖房の効いた店内で熱いコーヒーを飲んでいる渉の背筋は冷えていた。
「渉、そろそろ行こうぜ」
テーブルに置いていた煙草へ手を伸ばした途端、友人から声が掛かる。彼は今夜セッティング案を幾つか試したいと言っていたが──こんなざらついた気持ちで走っても、意味が無いことは解っていた。
「悪い。オレ、今日はやめとくわ」
「お、彼女でもできたか」
「そんな余裕あるかよ。レビンの維持でギリギリだぜ」
駐車場で友人と別れても、帰宅途中の車内でも、頭の片隅に〈噂〉が引っ掛かっている。道中コンビニの看板を目にし、吸い寄せられるようにウィンカーを点けた。駐車場の隅に車を停め煙草を取り出すも、何故か吸う気分ではない。それを仕舞った途端、強い視線を感じて渉は顔を上げる。視線の主は一人の女だとすぐに判った。こちらへ歩み寄る彼女の歩調は軽やかだ。愛車から降りた渉は、彼女をじっと見つめた。春までまだ遠いこの気候、更に深夜には似つかわしくない薄着である。孤高の狼を匂わせる雰囲気に、渉はどこか懐かしさを感じていた。
「こんばんは」
穏やかな声で話し掛けられ、不思議と安心感が湧く。
「……どうも。オレ、あんたとどこかで会った?」
彼女は渉の問いを否定も肯定もせず受け流し、ただ温かな微笑を浮かべた。
「正丸峠の噂、知っていますか」
「ああ、動物の幽霊が出るってヤツなら」
「動物を飼ったことはありますか」
「いや……近所には犬飼ってる家が何軒かあるけど、うちで飼ったことはないな」
「飼っている動物が亡くなったら、どうすると思いますか」
「火葬して庭に埋めるとか……ペット用の葬儀屋ってのもあるんだろ」
何故そんなことオレに聞くんだ。浮かんだ疑問は瞬時に消し飛んだ。
「葬儀屋が、預かった遺体を火葬せずに投棄しているとしたら」
夜間の正丸峠に人通りは殆ど無い。昼間はハイカーが散策し、夜にはオレ達走り屋が車やバイクを飛ばす。それをいいことに家電や粗大ゴミの不法投棄が行われ──生前は家族同然だったペットが、弔われることなく崖下へ放られているというのか。ファミレスで耳にした噂が思い出される。野良とは思えない犬種。服を着た動物達。クラクションを鳴らした途端に消えた──
パズルのピースがぴたりと嵌まるように、なにかが符合したことに気付いた。
「あの噂は本当だって言いたいのか」
彼女は真剣な眼差しで渉を見つめ、一度だけ深く頷いた。防寒に一役買いそうな長い髪が揺れる。
「オレにどうしろってんだよ」
俯いた渉は腕を組み、弱音を吐くように溜息を漏らす。それは束の間白く漂った。
「……あんた、誰だ?」
視線を戻すと、彼女は既にそこには居なかった。存在そのものが掻き消されてしまったかのように。少々不可解さは感じたものの──恐怖のような感情は無く、懐かしさを感じた彼女のことを思い出せない自分を歯痒く思った。自分に何か、できることはあるだろうか。それが彼女のためになるのなら、協力は惜しまないつもりで居る。
翌日、市役所勤めの同級生に電話して昨夜の懸念を問うた。その際、一人の女に会ったことは言わなかった。信じてはもらえないだろうし、何となく伏せておきたいと思ったから。
『最近よく聞くようになったんだよ、その話。オレも気になってたし、調べてみる』
「ああ、頼む」
『しばらく峠には行かない方がいいかもな。何か分かったら連絡する。また皆で飲もうぜ』
互いに軽い近況報告をして通話を終えた。
その後──警察や市役所も事態を把握し調査が行われ、春先に『ペット遺棄事件』として発覚した。新聞やテレビで峠の名を目にする度、哀しいような苦しいような妙な心持ちになる。無用なトラブルを避けるため、あれ以来正丸峠には近付かないようにしていた。他所の峠を走る度、正丸は自分のホームコースだと改めて知ったことは皮肉とも言える。
ある日、滅多に立ち入らない父の書斎に入った理由は何だっただろう。机上に積まれたアルバム、透明な袋に入った写真の束。父の趣味である写真、その整理途中のようだ。椅子に腰を下ろしアルバムをめくると、数ページ目で手が止まった。庭でしゃがむ渉の傍ら、犬が寄り添うように〈お座り〉の姿勢で写っている。日付は一年半程前のものだ。以前、近所に住んでいた家族が飼っていた犬だ。きちんと躾けられていて、従順で賢いやつだった。家人に代わって散歩させたことが幾度もあった。飼い主である家族は昨年引っ越していった。
「……オレのこと、覚えててくれたんだな」
微笑とも苦笑ともつかない笑みが口元へ浮かんだことを、渉は自覚していない。渉は立ち上がり、リビングでテレビを見ている妹へ声を掛ける。
「和美。線香あるか」
「仏間にあるよ。お墓参り?」
「ああ、ちょっとな」
線香を手に慌ただしく駆けていく兄を見送った和美は、書斎のドアが開け放たれたままであることに気付く。足を踏み入れると、数冊のアルバムが視界に入る。開かれた一冊のうち、一葉の写真に目が留まった。
「あ、懐かしい。
田中さんとこのハスキー可愛かったな。……名前、なんていったっけ」
真昼の正丸峠は春の匂いに満ちている。コーナーへ差し掛かる手前、ひっそりと手向けられた幾つかの花束。ガードレールに掛けられた折鶴。ペット用フードやミルク。100円ライターで一束の線香に火を点け道路へ置く。手を合わせて目を閉じた途端、渉は全て思い出した。初対面から懐いてくれて、家の前を通り掛かるたびに尻尾を──ちぎれるんじゃないかってくらい、振りまくってくれたこと。飼い主が長期旅行のために預かったこと。さほど広くもないうちの庭を、とても気に入っていたこと。一度だけレビンに乗せ、正丸峠へ来たこともあった──
柔らかな風が吹いて、木の葉と髪がそよいだ瞬間。スニーカーの足元に、脛に、腿に、何かがじゃれつくような感触。そして、優しく頭を撫でられたような気がした。散歩のとき、ボールを取ってきたとき、オレが「彼女」にそうしたように。
遊んでくれてありがとう。さよなら。また、どこかで会おうね。あなたのことが、だいすきだよ。
木々のざわめきがそんなふうに聞こえたのは、感傷に浸るオレの思い過ごしかもしれない。他人にうまく説明できないことって、生きてりゃ結構あるもんだな。線香が燃え尽きるのを見届け、渉は正丸峠を後にする。
[さよなら またね だいすき]END.
title.Idoling!!!(さよなら・またね・だいすき)
theme.
夢小説家に100+aのお題 no.048[さよなら]
up date.2011/08/06