香想


窓際の最後列。この特等席を引き当てたオレのクジ運はなかなかのモンだと思う。


「シーンーゴー!」
2限終了後。回ってきた週刊漫画雑誌をめくっていると、大声で名前を呼ばれた。声の主、心当たりはただ一人。慎吾はドアの辺りで勢い良く手招きをする〈幼馴染〉を緩慢に見遣る。帰れ、と右手を払うと、沙雪は笑いながら誰かを引き寄せる。同行者の正体が判明した途端、慎吾の右手は停止した。


同行者・田中夢子は、沙雪が所属している日本舞踊部の後輩。
所属している、とはいえ、沙雪は「日舞ってなんかカッコイィじゃん」という理由で名簿に名前を載せているだけの幽霊部員だ。部内の裏方を自称する沙雪と違い、夢子は色んな大会や発表会なんかに出てるらしい。
パッと見を比べても、二人は正反対のタイプだろうに、何故か仲が良い。
夢子のことはあまりよく知らないけれど、結構──気に入ってる、ってことはオレだけの秘密。


椅子から立ち上がった慎吾は鼓動と同じように速くなる歩調を抑え、彼女達へ近付いていく。


「……何だよ」
教室のドアに手を掛け、出来るだけ無愛想に呟いてみる。そんなことはお構いナシに、沙雪は傍らの彼女を指した。
夢子にジャージ貸したげて」
「あ?」
おどおどと怯えるように──と言えば大袈裟だろうか。
彼女へ視線を遣ることさえ、何やら悪いことでもしているような気分にさせられ、慎吾は問い詰めるように沙雪を見据えた。
「上だけでいいってさ」
「つーかオレのじゃ、……サイズとか……お前が貸せばいいだろ、沙雪」
「あたしんとこ体育ないの。6限、体育でしょ?」
「……何でオレなんだよ」
小さく舌を打った。
ジャージならロッカーに入ってる。フツーに洗濯してあるヤツ。
べつに、貸すのが嫌とかじゃなくて。何と言うべきか、あまりに突然過ぎて心の準備が出来てない。
たかがジャージ貸すくらいで心の準備、とか言うヤツが居るかよ。
そんなことは解っているのに、内心と一致しない言葉ばかりを選んでしまう。


表情を強張らせた夢子は、今すぐこの場を立ち去りたいとでも言うように沙雪へ話し掛ける。
「すみません、私やっぱり他あたります……」
「ちょっと夢子、他ったってもう時間ないでしょ?慎吾、せっかく来たんだから貸しなさいよ。ていうかもう誰でもいいわよ」
「沙雪先輩、」
「ねえ、ジャージ貸してくんない?」
「え?」
沙雪はそこらに居たクラスメイトへ声を掛け、掛けられた奴は驚いて目を白黒させている。
慎吾は髪をがしがしと掻いた。不安げな表情の〈彼女〉は沙雪から慎吾へと視線を移し、そして二人の視線は交錯した。


「……ちょっと待ってな」


女と目が合っただけで平常心を失うなんて、オレらしくないな。
慎吾はフイとドア付近のロッカーへ向かい、突っ込んでいたジャージを掴む。
ロッカー扉は開閉の際に少しだけ鳴き、その音はいつも慎吾を苛つかせる。
掴んだままの状態で差し出すと、夢子は束の間逡巡した後に両手を伸ばしてそれを受け取り、ぺこりとお辞儀をした。
「6限までに返してくれりゃいーから」
「あの……、ありがとうございます」
ほとんど囁きのような小さな声。沙雪が慎吾を見遣り、呆れたように肩をすくめる。
「貸すなら最初っからそーすりゃイイのよ」
「うるせえな。早く行けよ、時間無えンだろ」
「はいはい、じゃあねー」
幼馴染は呑気に手を振り、後輩の肩を押して駆けていく。
二人の背中を見送った慎吾はもう一度、短く舌を打った。


程無くして3限の始業チャイムが鳴り、退屈な時間となる。
彼女は授業に間に合っただろうか。何気なく黒板から校庭へ視線を落とした。
体育はいつも、ウォームアップ代わりのランニングから始まる。
トラックを周回する後輩達。慎吾のジャージを着た夢子はすぐに見つかった。
既に授業を聞いていない慎吾とは違い、夢子は真面目に参加しているようだ。
上下でライン色の違う、だぶついたジャージ。どこかちぐはぐな印象を受ける。
「……やっぱ合わねェだろ、オレのじゃ」
独り言は黒板にぶつけられるチョークの音に紛れて消えていく。
頬杖をつきながらしばらく校庭を眺めていた慎吾はパラパラとノートをめくり、黒板へと視線を戻した。






「慎吾先輩、ありがとうございました。あの、これ、よかったらどうぞ」
3限終了から約6分後。畳まれたジャージと共に差し出されたものは、微糖の缶コーヒーだった。
淡く上気した夢子の頬を、何故か直視出来ない。
「気ィつかわせちまって悪いな」
夢子は幾度か首を振って否定を表す。
借りにきたときと、返しにきたときと。彼女はまるで別人のようだった。清々する、とでも思っているのだろうか。
笑顔で頭を下げた後に踵を返す夢子の背中、慎吾は無意識のうちに投げ掛けていた。



夢子、」



ぴたりと足を止め、本当に心の底から驚いたように、夢子はこちらを振り向く。
彼女の名前を呼んだのは、これが初めてだと気付いた。
「あー……いや、何でもない。またな」
缶を顔の辺りへ掲げ、「サンキュ」と振ってみせる。
夢子は笑って手を振り返し、オレはたったそれだけでも充分過ぎる程に嬉しかった。


ロッカー扉へ手を掛け、ジャージを放り込もうとした瞬間。それはあっさりと取り上げられた。いや、強奪された。
「脱ぎたてか!? 嗅がせろ!」
「てめ、マジ殴るぞ!返せコラ!」
怒号を上げながら取り返すと、間髪入れずに背中を突付かれる。
「なぁなぁ、今のコもう食っちゃった?」
「だ、ちッげーよ!ちげーけど、夢子はオレのだからな!お前ら手ェ出すンじゃねえぞ!」
缶の底をロッカー扉へ叩き付けた途端、鈍い衝撃音を掻き消すように歓声が上がった。
ああ、もう……このクラス、バカばっかりだ。
右手に缶コーヒー、左手にジャージを持ってバカ達に背を向ける。
「なんだよ慎吾、抜いてくんのか?」
「ンなことすっか。サボんだよ」
4限目の始業チャイムと同時に、慎吾は教室を飛び出していた。





屋上へと続く階段。踊り場へ腰を下ろし、脚を投げ出す。
心臓が煩く鳴っているのは、階段を一気に駆け上がったせいだ。
缶を傍らへ置き、ジャージへ視線を落とす。

これは、さっきまで、彼女の肌に触れていた。
彼女の首が触れていたであろう襟へ顔を埋めた。目を閉じると、静かな校舎の中で自分の呼吸だけが聞こえている。
感じられたのは微かな残り香。頬が熱い。心が熱い。オレ今すごい勢いで夢子に欲情してる。──最低だな。


「……変態か……」


発した言葉が耳に入り、それは揺れる気持ちを肯定するように身体の奥底へ沈んだ。
残された温もりを逃すまいとジャージを抱き締める様は、傍から見れば非常に滑稽だろう。
万が一、この現場を夢子に見付けられたら、軽蔑されるだろうか。……と言うより、その程度で済めば御の字だろう。
今現在もあまり、好かれているとは言い難いのに。
勿論、本人に聞いたわけじゃないから〈本当〉のところはわからないけれど。
自分への態度を見る限りは多分、そうなんだろうと思う。
現状維持で構わない。夢子がせめて、オレを嫌わないで居てくれたらそれでいい。
気持ちを伝えることは出来ないままかも知れないけれど、関係が途切れてしまうよりはマシだ。
自分の臆病さに苦笑し、慎吾はそれすら認めることを決めた。



今はただ、夢子の残り香が、温もりが消えてしまう前に、少しでも長く触れていたい。
いつか彼女を、この手で抱き締めることが出来るなら。それを願うことが、許されるなら。
解らない──オレは何故、こんなにも夢子を好きになってしまったのだろう。
慎吾は溜息を吐き、彼女を想って名前を呟いた。



[香想]END.
theme.夢小説家に100+aのお題 no.049[片思い]
up date.2009/09/03