星空が映る海


君と同じ空を見上げて思ったこと、きっとずっと忘れない。


コックピットの光に照らされるドライバーの横顔を見つめていた夢子が、ふ、と笑みを零す。城島は愛車──S2000の運転席から彼女に声を掛けた。
夢子、気分はどう?寒くない?」
「ん、大丈夫。今日はすごく体調いいよ。センセとドライブできるの楽しみにしてた」
「そうか。そう言ってもらえると、嬉しいよ」
「この子も機嫌いいみたい」
「昨日オイル換えたばかりだから。今回はちょっと奮発したんだ」
「そっか。だからうれしそうな声なんだね」
「聞こえるのかい?」
「んとね……音、かな。エンジンの音がね、いつもとちがう気がするの」
「へぇ。わかるんだね」
「うーん。なんとなく、だけど」
夢子が慈しむようにそっとシートを撫でた。
「センセがこの子を大事にしてるから、この子もうれしいんだと思うよ」
屈託なく笑う夢子に、城島もつられて笑う。職場の作り笑いとは違う、心からの笑み。

長いストレート、ほんの少しだけ速度を上げる。風になびく夢子の髪を視界の端に捉えて微笑んだ。

清潔過ぎる程に清潔な病室を抜け出したのは30分程前のこと。二人だけの秘密のドライブ。
到着したのは海──空との境も溶けてしまってわからない程に真っ黒な。助手席から降りた夢子が砂浜におずおずと足を踏み出す。

灯台が光と闇を交互に投げる。ひどく穏やかな表情で夢子が呟いた。
「城島センセ。あたしがしぬとき、手、つないでてね」
「──君は僕が治すから、」
「いいの。あたし、知ってるよ。自分のからだだもん」
夢子……」
「だから、お願い。いっこだけ、約束して?」
夢子が城島を見上げて右手を差し出す。波の音だけが響く中、そっと絡ませた小指。
「ありがと、センセ。うれしい」
はにかんだような夢子の笑顔に、心臓が締め上げられる。

「そろそろ帰ろうか」
「……うん」
夢子が遠慮がちに手を伸ばして、城島のシャツの裾を引いた。その手をそっと握る。小さくて細くて儚い夢子の掌。

これが、夢子との最後のドライブになるなんて。この時の僕は思ってもいなかったんだ。
それは突然──あまりに突然の出来事。彼女は眠るように逝ってしまった。夢子の手がどんどん冷たくなっていくのをただ感じている──自分は無力だと、痛感した。


夢子……君は、しあわせだったかい?ここは君が生きるにはつらい世界だったかも知れないね。
だけど、そんな世界で僕に出会えて良かったと、ほんの一瞬でも思ってくれたのなら────

今夜の空は、あの日君と見上げた空の美しさには敵わないけれど。
「今日は月が綺麗だよ、夢子
そっと呟いて波打ち際に一輪の白薔薇を。みるみるうちに波にさらわれて遠ざかっていく。

『ほらほら、センセがしょんぼりしてたらみんな心配するでしょ。元気だして』
諭すような口調で笑った夢子。脳裡に浮かぶのは夢子の穏やかな笑顔。

今日くらい、涙を許してくれないか────

膝を落とした。震える唇を噛んだ。零れる涙を拭おうともせず城島はただひたすら泣いた。砂に叩き付けた拳は虚しくめり込んでいくばかり。
深夜の海はただ、月と星を映して揺れている。



[星空が映る海]END.
title.DREAMS COME TRUE
theme.夢小説家に100+aのお題 no.091[秘密]
up date.2005/11/02