ギブス (page.1/4)


あたしの彼氏はS14シルビアに乗ってます。
群馬県内じゃ結構有名な、美形兄弟がアタマの『赤城レッドサンズ』というチームのメンバーです。
あたしの彼氏は雨が好きです。
彼氏の名前は中村賢太。皆から「ケンタ」って呼ばれてます。パッと見チャラっぽくてちょっとバカだけど、大好きなひとです。





夢子、走りに来ねぇ?』
「えー?雨降ってんのに?」
『バカ、雨だからだろ。タイヤ減んねーし練習するにはもってこいだろ』
「練習ったって……あたしの車、ノーマルだし」
『んなの関係ねぇっつーの。朝までいるから気が向いたら来いよ。じゃあな』
携帯の向こうからはロータリーエンジンの音が微かに聞こえていた。


(涼介さんがいるなら聞いてみようかな……)


夢子はパーカーを羽織り駐車場へ向かう。雨足は少し弱まったようだ。




エネルギー資料館、駐車場。FDの傍らに立っている啓介が、夢子と愛車を目に留め手を上げる。
「よぉ夢子
「啓介さんこんばんはー。涼介さん来てますか?」
「アニキなら今日は大学に泊まりだぜ」
「う……そうなんですか……」
「アニキに用でもあったのか?オレでよかったら話聞くぜ」
「えー……」
「何だそれ!オレじゃ不満なのかよ!」
きゅ、と頬をつねられた。反撃しようとするが、傘を持っているのと──そもそも身長差のせいでどうにもならない。
仕方なしにそのままで会話をすることになる。
「ほれ、言ってみろ」
「……レポート、やりました?」
「?何のだよ」
「憲法ですよー。今月締切なんですけど、全然浮かばなくて。涼介さんてオールマイティだから、聞いてみようと思ったんです」
「え、憲法ってレポートあんのか?」
「……知らないんですか?」
「そーいやしばらく講義出てねぇなー」
「前期はレポート評価ですよ」
「やっべ!夢子の写さしてくれよ」
「……後輩に頼るなんておかしくないですか?」
「いーじゃねぇか。焼肉オゴるぜ?」
「……ダメです」
「じゃあケーキバイキングつれてってやる」
「……む……」
チャンスだと思ったのか、啓介は一気に畳み掛けてくる。


「マジ頼むよ夢子!頼れるのお前しかいねぇんだよー」


焼肉とケーキ。誘惑(食欲)に負けそうになった夢子は慌てて首を振った。


「だ、ダメです!涼介さんに言いつけますよ!」
「ちぇー、夢子のケチ。いーよケンタに頼むからよー」
拗ねるような表情を浮かべた啓介に、S14のエンジン音が聞こえる。
「──ナイスタイミング」
啓介は夢子の両頬をふにふにとつまんで笑った。


「なんだ、やっぱ来たんじゃん夢子
愛車から降りた賢太がニヤニヤと言った。
「涼介さんに会いに来たの」
「今日は来てないけど?」
「うん、さっき啓介さんに聞いた」
「ケンタ、お前憲法のレポートやったか?」
「何すかそれ?」
「……やっぱお前も知らねぇのか」
啓介が大袈裟に溜息を吐く。


「マジかよ夢子、レポートなんて出たのかよ」
賢太が慌てて確認する。ぷくりと頬を膨らませて夢子は頷いた。
「写さしてくれ、って言ったら断られちまった」
「何だよ夢子、啓介さんの頼み事断んのかよ」
「……講義出ないで人のレポート丸写しなんてズルいもん」
べろ、と舌を出してそっぽを向く。

「困ったなー……。あ、夢子。じゃあオレが中里に勝ったら写さしてくれよ」
「え?今度の妙義遠征ですか?」
「そうそう。モチロン焼肉とケーキもつけるぜ」
「?何ですか焼肉とケーキって」
「な、何でもないっ!」


最近ウェストがちょっとぽちゃぽちゃしてきて、賢太に痩せろ痩せろって言われてるんだ……!


「なー、いいだろ夢子
「だって啓介さん、自信あるじゃないですか」
「バカ夢子!啓介さんが32なんかに負けるわけないだろ!」
「だからー、それって啓介さんに有利だし……」
「頼むよ夢子、このとーり!留年はしたくねぇんだよー」
啓介は両手を合わせ、頭を下げた。上目遣いでちらりとこちらを窺っている。カッコイイ人がこんな仕草するなんて、ズルい。
夢子は小さく溜息を吐いた。──あたしの負けだ。
「……もう!わかりましたよっ!」
「サンキュ!助かるぜ夢子っ」
夢子の頭をわしわしと豪快に撫でて啓介が笑う。
我儘もこの笑顔で許しちゃうんだよな……。実はあたしも啓介さんのファンだから──悔しいけど勝てないや。


「よっしゃケンタ、走りに行くか!」
「ハイ!」
賢太は夢子を見向きもせずS14に乗り込んだ。FDの後を追って駆け出す。水溜りから、雨水が大きく跳ねる。



「……まったく……こんなんで付き合ってるって言えるの?」
一人残された夢子はぽつりと呟いて愛車──Z33に目を向ける。オレンジ色のメタリックボディは静かに輝いていた。


賢太が優先するのはいつもチームのこと。
あたしもレッドサンズは好きだけど……たまにはあたしのことも構ってほしいんだよ?






「あれ、夢子ちゃんケンタと一緒じゃないの?」
妙義遠征当日。「ケンタの彼女」であるあたしは、メンバーから妹のように扱われている。
「賢太のQ's乗り心地悪いし、啓介さんのペースにはついていけないんで別行動なんです」
「そっか。相変わらずだなケンタは」
「大変だねー夢子ちゃん」
「ホントそうですよー。彼女より啓介さんの方が大切なんですよきっと」
「ハハ、まぁこっちはゆっくり行くからさ」
「はぁい。お願いしまーす」


レッドサンズメンバーの高速クルーズ。「走り屋っぽい」車が多い中、夢子のZ33はノーマルのままで逆に目立っていた。

一応チームのステッカーを貼ってはいるが、それは涼介から貰ったお守りのようなもの。
そのせいか、一人で走っていても絡まれたり煽られたり、というような「被害」はなかった。
遠くでひそひそ話をされることや、携帯で写真を撮られたりすることは日常茶飯事だけど。
直接「何か」をしてくるわけじゃないから、気にしないことにしている。


でも、写真は嫌いだ。勝手にあたしを切り取って、そこで時間を止めてしまうから。
生身の、今を生きるあたしはそこからただ──古くなるだけ。

甘楽PAはもう目前。



[ギブス] (2) next
title.椎名林檎
up date.2004/12/16